別の人のこと
どうして母は毎日電話をかけてくるのですか?
着信音が終わる前に、手が先に動いています。母からです。昨日も、だいたい同じ時刻に母からでした。出て、二十分後には、何の電話だったのかよく分からなくなっています。
このページは、こちら側の話です。母がどういう人かは決めません。それは、ここでファイルを開いたことのない人についての判定です。
ページがどこを向いているかを見ておいてください。かけてくるほうではありません。それは母のものです。出るほうです。それはこちらのもので、毎日の電話のなかで、この書庫が手を届かせられるのはそこだけです。
いま見ているのは、実際には何ですか?
毎日の電話、ときには一日に何度も。出なかった一回のあとに二回目が来て、それから、大丈夫かという文面が来ます。こちらからかけなければ、向こうからかかってきます。
電話そのものは薄いです。何を食べたか。そちらの天気。会ったことのない近所の人のこと。出なかったときの動揺は、出たときに話されるどれよりも、はるかに大きいです。
そして、出ないのは失礼なのか、と自分に聞きはじめています。その問いが手がかりです。電話が通行料に変わっていて、払うのをやめていいかどうかを確かめているところです。
[現場観察]
一週間、電話の数ではなく、二つだけ書きます。出たあとに何の話だったか一行と、出なかったあとに何が来たか一行。
出たあとの行は短く、出なかったあとの行は長くなります。
その差が、電話の中身ではなく、出ることそのものが求められている印です。
計算もしてきました。二十分、何の害があるのか。計算は毎回同じ答えを出し、そのあとも、やはり疲れています。
どうして電話に出てしまうのですか?
母がなぜかけるのかは、このページには言えません。出た電話が母にとって何をしているのかは、こちら側からは誰にも見えません。言えるのは、こちらがなぜ出るのかです。
出るのは反射で、ずっと前に据えられたものです。親が動揺しているとき、子どもの体は、それを収めるために動きます。今日のスマホについて下すどんな決定よりも古いものです。
だから電話は薄いのです。電話が要点ではないからです。要点は、出たということです。二十分の天気の話が、最初の着信音で始まった感じを終わらせて、取り扱われているのはその感じのほうです。
だから、理屈では片づきません。電話に何の代償もないことは、紙の上で証明できます。二回目の着信音で出た体は、相談されていませんし、まだ疲れています。
出ているのは電話ではありません。感じに出ていて、その感じは、いつもこちらのものとは限りません。
これは、何の話ではないのですか?
母を愛しているかどうかの話ではありません。愛していて、出るのは一部それでできています。愛は、疲れさせる部分ではありません。
失礼かどうかの話でもありません。失礼は、一つの行為についての判定です。ここにあるのは、毎日走る並びで、並びは作法では片づきません。
どれだけ忙しいかの演説でも直りません。演説は、次の電話の議題になります。もっとまめに出ても直りません。出ることが、走らせ続けている部分だからです。
こちらが引き起こしたものではなく、このページは、縁を切れとも言いません。かけるのは母のものです。緑のボタンの上の親指はこちらのもので、ページはそこに留まります。
こちらの体では、何が起きていますか?
画面が光ったとき、自分の中で何が起きるかを見ます。胃が落ちる。謝るときの文句の、小さな下稽古。何も決めていないうちに来る罪悪感。
[仕組み]
体のサインは、どんな判断よりも先に来ます。画面を見たこちらの体に来ています。
そのサインと、親指が動くまでのあいだに、数秒あります。このページの中で、窓がこちらの手元にあるのはそこだけです。
母の側で何が走っているかは、母のものです。こちらの側でも、二人の通話の中でもありません。
こちら側にあるのはどれですか?
かけてくることではありません。出なかったときの母の動揺でもありません。こちらのものは、出ること、謝ること、そして、つながれる時間帯を自分で決めることです。
[実地課題]
時刻を一つ決めて、一度だけ言って、守ります。日曜の四時にかける。そして日曜の四時にかけて、文面が来たからといって火曜にはかけません。
大丈夫かの文面には一行で返します。大丈夫、日曜に話そう。出なかった理由を足しません。理由は、謝罪がこっそり戻ってくる場所です。
忙しかったことを謝りません。忙しかったのです。ふつうの午後のために手渡された、ごめん、は通行料で、通行料はまた取り立てられます。
電話に選ばれる代わりに、電話を選びます。そして、何に応じられるかは、落ち着いているうちに決めておきます。いちばん悪いタイミングで画面が光って、いちばん何も決められないときに、もう決まっているようにです。
これは、こちらに何を使わせていますか?
自分の中で変わったものを確かめます。一日のある時刻に、結び目がついていないか。出なかった電話を許せるものにするために、どこにいたかを偽ったことがないか。
出る電話のほうに、恨みが漏れはじめていないか。二十分の天気の話が、こちらが短くなって母が傷ついて終わるようになっていないか。友人の電話まで選別しはじめていないか。
[心当たり]
着信音が鳴る前に、鳴る時刻を体が先に知っています。
出たあとに、出なかったときの文面を想像して、出てよかった、と自分に言っています。
電話を切ったあとの疲れを、電話の長さで説明しようとして、毎回合いません。
そのどれもが、ファイルのあるパターンです。誰にも頼まれる前に出てくる謝罪には、ことばの数秒前に捕まえられるほど具体的な体のサインがあります。
読んでいるうちに自分のことだと思ったらどうしますか?
このページを読んで、出るほうではなく、かけるほうに心当たりが出る人もいます。家が静かになったとき、スマホに伸びる手。留守番電話になったときの動揺。
いまそれが起きたなら、この書庫には、疲れさせるものに結ばれたままでいることについての一人称のファイルがあります。読んでいる人に向けて、読んでいる人の体について書かれていて、このページの中で直接取り組めるパターンはそれです。それはすり減る関係という名前で、誰についての判定でもありません。
このファイルに届く質問
どうして母は毎日電話をかけてくるのですか?
このページには言えませんし、推測しません。言えるのは、なぜ電話に出るかです。ずっと前に据えられた反射で、親が動揺していることが、こちらの体が収めに動くものだった頃のものです。その反射が、手の届く部分です。
どうして出ないと、あんなに動揺するのですか?
こちらの立っている場所からは見えません。見えるのは、動揺が電話よりはるかに大きいことで、それは、電話が要点ではなかったと教えてくれます。出ることが要点でした。
親の電話に出ないのは、失礼ですか?
失礼は一つの行為についての判定で、ここにあるのは毎日走る並びです。守れる時刻を選んで、一度だけ言って、守ります。それは失礼ではなく、予定です。
毎日かけてくるのが当然だと思っている親を、どう変えればいいのですか?
どれだけ忙しいかの演説ではありません。演説は次の電話の議題になります。時刻を選んで、一度だけ名指しして、その時刻にはつながれて、他の時刻にはつながれないようにします。パターンに、言い合いではなく予定を会わせます。
毎日話したがる親は、ふつうですか?
このページは、ふつうについての判定を出しません。言えるのは、計算が毎回問題なしと出て、それでも疲れ続けているなら、注意の要る部分は計算ではないということです。
鳴らしたままにしていいのですか?
一回、わざと、練習として。鳴らしたままにして、そのあいだ自分の中で何が起きるかを見ます。そこが、別の動きを選べる窓で、これが変わる場所はそこだけです。
どうして出なかったのかと聞かれたら、何と言えばいいのですか?
一行です。忙しかった、大丈夫、日曜に話そう。理由を足しません。理由は謝罪がこっそり戻ってくる場所で、謝罪は通行料です。
電話に出ないだけで、どうして罪悪感があるのですか?
何も決めないうちに罪悪感が来るからです。それは体のサインで、動く数秒前に来る、胃が落ちる感じです。決定より先に部屋に着く罪悪感は、サインであって判定ではありません。
母は寂しいのですか?
このページには見えませんし、誰の中にも何も名づけません。そうだとしても、こちらへの毎日の電話がその唯一の答えではなく、答えを出せるのがこちらだけでもありません。
電話が鳴ったときの、こちらの体のサインは何ですか?
胃が落ちる、謝る文句の小さな下稽古、何も決めないうちに来る罪悪感、が多いです。親指が動く数秒前に来ます。その隙間が、別の動きを選べる場所です。
電話が多すぎると、母に言ったほうがいいのですか?
言うと、それが次の電話の議題になりやすいです。効くのは、一度だけ言って守る時刻のほうです。変わるのはこちらの予定と親指で、母のかけ方についての会話ではありません。
自分の母親の電話を選別するのは、ひどいことですか?
それは判定で、この方法は判定を出しません。本当なのは、毎回出ると感じが二十分終わって、その安心が出ることを走らせ続けているということです。いつ出るかを選ぶのは、出ないことと同じではありません。
入口
母のファイルは、こちらからは開けられません。開けられるのは、親指の側で走っている自分のファイルだけです。九つの記録は日本語でそろっています。
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